鎌倉殿の13人

大河ドラマをまともに観るようになってまだ数年(その前もたまに見ていたが、現在のように史実と付け合わせてみるようなことはできていなかった)だが、今作のデキはこれまでの全大河のうちでも上位にくるに違いない。それほど見事な脚本であり、演出だった。

過去の時代の人間の考えることを、現代人が慮るのは難しい。当時の世界の背景を知ってはじめて、その時代の人間の考え方を推測できるようになるのだから。それを現代人にもそのまま理解できるドラマに仕立てるのがNHK大河ドラマの難しいところであり醍醐味というわけで。
今作は全編にわたって無理のない演出。さらに残酷な展開とドロドロした権力争いの様を見せてくれた。この時代のことをほとんど知らなかったので、勉強にもなった。

さて。
毎話ごとに見せ場があったので細かく感想を書くのは省くが、最後の義時の最期についてだけは触れておきたい。

最終的には政子が手を下すことになるのだが、このシチュエーションが奇跡的。
まず義時と政子がふたりしかいない、実質的密室で。13人の殺しの話題で隠していた政子の息子=頼家殺しを義時が漏らしてしまう。そのタイミングで発作。薬が必要になる。「私はまだ生きないといけない。天子を手にかけなくては(大意)」と苦しみにのたうちながら語る義時。

政子に殺意の素がないわけではないだろう。義時の動きによって、父は追放、妹は死にかけ、息子も孫もすべて失ってしまったのだ。恨みがないはずはない。しかし頼朝の死後、伊豆に帰ろうとしていた義時を残らせたのは政子自身だ。おかげで鎌倉幕府と北条一族は残ったし、その行動も生真面目な彼の性格からくることは知っている。だからこそ、上皇から義時を差し出すよう命が下ったときに彼を庇い、演説までしたのだ。義時の使命感は自分の代で北条の世を脅かす芽をすべて摘み取ること。地獄行きは覚悟のうえだ。
政子が自分から殺意を以て義時殺しに動くことはない。降って沸いたこの絶妙なタイミングで政子が義時を「薬を渡さない」という消極的なかたちで殺したのは、これ以上彼に罪を背負わせたくないという慈悲であり、次世代はもう、義時の息子泰時に任せても大丈夫という安心感。泰時らの時代への希望。幕府と北条を支えてくれた感謝。それらの様々な想いが殺意とないまぜになって実現したのだ。この心の動き。いやもう、ドラマとしてはこういうかたちでしか成立しないという納得さでしたわ。感無量でした。

来年の大河はタイトルからして「どうする?」なので、変化球でくることは間違いない。大河鉄板の徳川家康話だしね。いったん肩の力を抜いて楽しもうと思う。

 

音楽については時折流れるクラシックが良い効果をもたらしていた。サントラはまだ手に入れてないけど、きっと収録されていることだろう。