名古屋旅


2014年10月24日の晩発、28日着の旅日記。

0日目

新幹線は高い。以前広島に行きで高速バスを使ったら、かなりお安く済んだ。そのバス発着所は今の新宿オフィスの近所。ということは、使うしかあるまい。ということでwillerで予約。深夜バスのほうがどうも昼より高いようでお値得感は薄いが、翌朝から動けるのは大きいしな。ということで前日夜の会社帰り。近所のラーメン居酒屋で腹ごしらえして22時半に発着所。深夜とはいえ安めのバスを選んだら、もうなにも設備なし。席が窓側ならば…との淡い期待はあっさり裏切られ、前から3番めの(タイヤがあって酔いそうなところと言われるな)通路側。広島行きのときに使った睡眠薬もほとんど効かず。(通常2粒のところ3粒でも無駄。)うつらうつら睡眠はしてるはずだけど、感覚的にはずっと起きてた感じ。

1日目

名古屋(といっても隣駅の「ささしまライブ」というところ)には予定どおり7時ぐらいに着いたが眠気・体力相当やばし。だが、ここで保険が生きる。バス申込時にオプションのサウナを申し込んでいたのだ!2005年に入ったカプセルホテル、ウェルビーの別店舗で、冷凍サウナはないものの温泉・休み処・漫画&ネットコーナーまで完備。なのだ。まず同施設のある名鉄レジャック1Fのマクドナルドで朝マックを食べ、4Fに上がり風呂へ。風呂は快適。ネットコーナーで漫画(「HUNTER×HUNTER」ちょっと過去の話が気になったので)を読みつつ午前一杯は体力回復に勤めた。そろそろ午後、ということろもうひと風呂浴びる。名残惜しいが時間も惜しいので退出。いったん名古屋駅に向かう。一度名古屋駅付近のヤマダデンキに寄る。new3DSLLのカバーを探すが、なし。コンセントからにUSBに電源を変換するパーツを買う。ナナちゃん人形に着いたところで方向を代え、ホテルを目指すことに。ホテルは前日に予約した「名古屋栄ワシントンホテルプラザ」。本当はこの日の朝にのんびりホテル探ししようとしていたが嫌な予感がしたので前日中に手配。思いっきり甘く見ていたのだが、実際ほとんどのホテルが満室。危なかった。(ここも、一度電話で聞いたら満室だったはずが、なぜかネットで予約できた…チェックインまで少し不安だった)場所は栄、というか伏見かな。電車で行くほうが良かったかもしれないが、土地勘を得る意味もあって徒歩で目指した。途中創業一号店「やまちゃん」(昼だったからだが、営業しておらず)に出くわしたりしたが、わりとダラダラ歩いて到着。ホテルは無事3階の部屋を用意してくれていた。3時のチェックインには少し早い(2時半ぐらい)が部屋の準備は出来ていた。公式ネット予約特典としてスクラッチくじ(当然残念賞=アメ)をもらい、部屋へ。部屋はよくあるシングルルーム。少し休みたいところだが、旅はここからだ。荷物を置いて出かける。35年前に住んでいた街に行こう。まずは最寄駅の東山線、伏見まで歩く。目的地のひとつ、科学館が近くにあり、建物の外観を見ながら地下に入ると11月の特別展示として庵野監督の特撮展の案内が。うむ東京で見たが結構前だったぞと。普通にSUICAが使えて本山駅へ。本山で降りる。ホームの雰囲気は以前のままだが、むむ。いつのまにか環状線ができていてこの駅も止まるのか。便利になったもんだな。少し雰囲気が変わったようだ。地上でまずちょっとした驚き。松坂屋ストア松坂屋ストアじゃない。イオンのMAX VALUE になっている。潰れたような話はいつぞや聞いた…かなあ。ただ建物はそのままで、ちゃんとスーパーマーケットを続けてくれているのでダメージは少ないか。中を少し散策。以前来たときはメンテかな?運営されていなかったボウリングがちゃんと営業してくれていてうれしい。店の裏手に。この辺りも母に連れられて歩いた記憶があるが、かなり整備されているのか面影は全く残っていない。記憶にあるのは耳鼻科の医者によく通ってたこと。「いだ耳鼻咽喉科医院」。これかなあ。すっかり立派な建物になっているが、かつての診療費がこれになったのだろうか。昼飯は本山についてから、と思ってきてみたが、あまりそれらしい食い物屋がなく。松坂屋裏手のCOCO一番館で名宝ハムコロッケカレー(地元限定メニュー?)をいただく。このお気に入りのチェーン店(北松戸にもある!)も名古屋発なんだよな。実際にこのあとの各地でも良く支店を見かけることになる。道路を渡ると、ミスタードーナツがある。2Fは…ピザハットではなく、丼ものの店になっていた。せっかくなのでドーナツをふたつ購入。食べながら散策を続ける。どぶ(?)川の脇を歩く。コープは前回きたまま。本屋も前回きたまま(だけど様子がおかしい、潰れ気味?)。床屋が生きてたのがなによりうれしい。10年ほど前に来たときは懐かしくて髪を切ってもらったんだよな。今回も…迷ったがやめておいた。(で。後で後悔。今度来るときは何年後か。もう残ってないかもな)以前住んでいた社宅は見る影もなかった。テニスコートも潰れて、しゃれた家群が建っていた。とはいえそれは知っていたこと。むしろ土台の石垣が生きていたり、隣の森、小学校、中学校がそのままだったのはうれしかった。小学校なんぞはちょうど少年野球をやっていてくれたおかげか、中に入れてグラウンドの土も踏めた。さて次は。名大に行くよな。道すがら、父に電話。明日落ち合う時間、場所…というよりちゃんと電話が繋がるか、そして明日チェックインするホテル(APAホテルだけど支店がいくつかある)を確認。名古屋大学は、ほんとに近い。子供の頃はもうちょっと遠くまで歩いた気がしたが、実際は実家から近くのコンビニ行くぐらいの距離だ。沼のある裏手から入る。そろそろ空が暗くなりそうな気配。トイレに行きたくなったので、大学内の図書館に。前回来たときも入ったし、あまり幼少の思い出はここにはないのだが…なんと。その1。入り口にスタバが設置されている。その2。館内のパンフ表紙にはビブリオバトルの紹介記事が。ビブリオバトル!先日カルカルでイベントやったばかりじゃないか!こういうところでしっかり普及しているんだな。トイレは図書館の中にあるようで。外部者が閲覧しますと書類に書いたが、用を足したらすぐに出た。しかしかなり外国人の姿があった。「ノーベル賞おめでとう」の掲示も出てたがそういう国際的大学なのだ。正面に出たら学祭が11/1となっていた。名大の学祭にはそれこそ幼少のときに遊びに来てたよ!間が悪い!しかし11月頭は締めがあるので日程が分ったとしても来られなかったであろう。このまま進むと東山動物園に向かえるのだが、さすがに結構日が暮れてきた。引き返すか、と横を見るとそこにはなんと地下鉄の入り口が。本山に止まる地下鉄環状線名城線」はここにも来ていたのか!これは便利。早速乗ろう。名大図書館スタバのポスターを見ながら地下へ。さて。少し時間が余った。ここは大須の雰囲気を見て晩飯食べて帰ろう。環状線なら近くにいけるのでは。ということで上前津へ。上前津から大須観音を見て、あとは辺りを散策。商店街的な佇まいが都会かつ地方都市な感じ。このこじんまりした感じは嫌いじゃない。結構な人ごみ。若者も多く活気がある。コスプレが目立つがそういう場所なのか?…いやハロウィンってことか。玉石混合、全てのモノ・情報が集まる東京近辺こそ己れが住むに相応しいと思っている。でも。ここを離れるとき思ったのは「将来は名古屋大学へ」だった。その想いはそれほど自分の信念として根付かず、ちゃらんぽらんな受験を経て現在に至るわけだが、想いを強く持っていたらどうだったろう。もう少し違う生き方になったはずで、その極北=名古屋大学生になっていたら、その後の人生もここで過ごした可能性が高い。この地はかつて住んだ町で、ひょっとしたら改めて住み続けたかもしれない街なのだ。だから親戚も、友達も、何の関係性もないこの地は自分にとって特別の地足りうるのだな。いまいち食べたいものが見つからず、とりあえずホテルに向かいがてら…と歩いていたら、矢場とんに出くわした。これは食べるしかないよな。そこそこ並ばせられたが、少しお安めな味噌串カツ定食を食べ、ホテルへ。夜は風呂に入ったところで洗濯物が溜まったので、備え付けのコインランドリーへ。洗う前に洗濯機自身を洗えるようになっているはずが、うまく使えず。

2日目

前日が結構疲れたので良く寝た。が、ちゃんとトッキュウジャー→ドライブ→プリキュアは観なくてはならない。東京と同じ時間帯でありがたい。観終わったら普通にチェックアウトタイム。残念賞の飴を舐めながら。朝飯はともかくホテルを出る。ともかく、次のホテルに荷物を預けてからだ。途中、10時になる前に喫茶店にめぐり合えたら朝メニューが食べられるんだが…。結局めぐり合えず。次のホテルは父が予め予約しておいてくれたAPAホテル。「アパヴィラホテル<名古屋丸の内駅前>」だ。「名古屋栄ワシントンホテルプラザ」から北西で少し歩いたところにあった。横幅が狭いのが少し気になるが、こちらの方が少し高級感あるかな。名前を告げると、チェックイン前ということで荷物を預かってくれた父との待ち合わせは午後12時。まだ2時間近くある。改めて父と行く場所だが、とりあえずここからまっすぐ南にある科学館に向かおう。きっと喫茶店もあるだろ。科学館は、聞いてはいたけど本当に建て替えられていて、中央が巨大なボールに…。お台場のフジテレビのあの部分を切り取ってきた感じか。ボール自体はどっちが大きいかわからないが、こっちの方が地面に近くて大きく見える。正面公園の噴水にしばし見とれてから科学館に来た。見込みどおりお土産屋の隣に喫茶店。それもメニューに「小倉ドッグ」なるものが。これだ!これだよ。名古屋らしいメニューは。牛乳パック付きのセットを頼んだ。ゆっくり食べた後、伏見駅に降り、東山線名古屋駅へ。11時半頃に新幹線乗り場到着ちょっと早いか。おそらく父も昼食はまだだろうから、とこの合間に店を調べる。駅地下にきしめんやら味噌煮込みうどんやら発見。このあたりで良いだろ。乗り場前に集合していた学生たち(修学旅行?)が去り、時間と共に父来る。予想どおり昼飯はまだとのことで、調べておいた駅地下に。あまり動き回る余力はなさそうなので、手頃に選んだきしめん屋に入る。ともにきしめんを食す。自分の見える方向にはテレビがありちょうどNHKのど自慢が放送されていた。森山愛子さんがゲストだったようだな。頑張ってるようでなにより(←えらそう)黒人のかっぷくの良い女性がインパクトがあったその人がチャンピオンとなる山口大会だった。店を出る。まずはホテルに荷物を置いて、近くでレンタカーを借り、社宅に行こうと提案。了解される。ホテルのある丸の内駅は桜通線で1駅なのだが、父によると35年前はこの路線も存在していなかったらしい。ここで旅の目的を再度確認。「僕がひとりで観にくるのではなく、あえて父に来てもらったのは、幼い自分では覚えていないことを父の記憶を通して知りたかったから。僕の行きたいところを連れまわすより、父自身で思い出が蘇りそうなところに行ってもらうのが一番理想だが、そういうところもなさそうなので(父にとってはたまたま会社に命じられた一時的転勤先に過ぎない)まずは僕の行きたいところに付き合ってもらう。父自身で思い出が蘇りそうなところを思い出したらそっちを優先するので都度言ってほしい」。ホテルに着いた。チェックインには早いので、父の荷物も追加で受け取ってもらい、一緒にホテル裏手のレンタカーへ。車は一番お手頃なヴィッツ。本当は買っていたかもしれない車だ。期間は…2日乗るので1回でそのまま2日借りるか、2日それぞれ借りるかで悩んだが、店員の女性と相談して都度借りることに。路駐チェックは厳しいようで、くれぐれもつかまらないように忠告を受ける。そして6,000円ちょっと払って車で出発!行き先は昨日行った本山だ。最初に父の会社のあるところを通っていこうということに。ホテルの近く、丸の内の通りのはずだが、町並みが変わりすぎてよくわからないらしい。「名古屋駅にいったん行って、そこから桜通りを走ってくれないか。わかるかもしれない。」やってみたがよくわからない。「十六銀行が見えてくるはずだが…あれかな。あとCBCが見えてくるはずだが」。諦めてそのままナビの導きで本山方面へ。地下鉄ならすぐでも、車だと返って時間が掛かる。だが、体力の問題で歩ける距離に限度のある父対策としては仕方がない。結構遠回りのような道を行く。途中、トイレに行きたくなったのでセブンイレブン前に。店の駐車場がなかったので、さきほどの忠告を気にして隣の有料駐車場に入れる。トレイ。そしてセブンコーヒーを飲んで出発。ほどなくして本山についた。また、車を有料駐車場に止め。本山駅を。元松坂屋ストアを見てもらう。ボウリングは僕自身行った記憶がほとんどないのだが、父は覚えていた。内装は当時を思わせるぐらいには古いと思ったが、父によると間取り含めそこそこ変わっているそうだった。裏手に出て以前みたらしだんごを良く買った店の前…もちろんそんな店は跡形もなく。道を渡ってミスタードーナツを見せる。「位置、ズレたな」やっぱりそうだよな。記憶違いと思ったが、結構ズレている。社宅跡まで歩く。ほとんど覚えていない、とのことだったが、じょじょに過去が見えてきたようだ。どぶ(?)川が昔はもっとラフで、現在の姿は整備されて道幅が広がっている、なんて、自分は分っていなかった。このあたりでかなり父に疲れが見えたので、名古屋大学までの道は車で。東山動物園の玄関前を通過するときに気付く。そういえば明日は月曜。諸々の施設、休みだ。動物園も、科学館も、総合児童センターも。うーむ。そのあたりは明後日にするか。池下、覚王山今池東山線の駅沿いに道を行く。父に当時どのあたりに飲みに行ったのか聞くと、今池だという。では、と。夕飯は今池と提案。疲れた父は難色を示すが、とりあえず車をレンタカー屋に返していったんホテル。チェックイン。父は520。自分は518の部屋だ。中は…まあ基本「名古屋栄ワシントンホテルプラザ」と同じなのだけど、なにやら本と漫画が置いてある。経営者:元谷 外志雄氏と妻で社長、芙美子氏の、ホテル勃興記か。漫画は…「アパホテル―利益を生み出す逆張り成功哲学 (まんがで学ぶ成功企業の仕事術) 」

アパホテル(マンガで学ぶ成功企業の仕事術) (まんがで学ぶ成功企業の仕事術)

アパホテル(マンガで学ぶ成功企業の仕事術) (まんがで学ぶ成功企業の仕事術)

さすがに読みやすく、一気読み。奥さんが有名だが、これは旦那が凄いんだな。わざわざ客室に置いて読ませるとは。こういう押し付けがましいのは拒否感のある人も結構いるんだろうけど、自分は好感を持つほう。企業の物語が分るとどこかファンになってしまうところがあって。店員が働いてると頑張れよ、という気分。夕食はアピールどおり、今池へ。もっとも父の疲れがうんぬんなので駅を出てすぐの魚系飲み屋に入る。この機会だから、酒を酌み交わしながら父がなぜあの職に就いたのか、そして名古屋時代の仕事を聞いた。父は普段自分の過去を話すような人間でない。そのまま墓場まで持っていこうとしている話はともかく、残しておきたい話は今のうちにしておいてもらったほうがいい。今は元気で、あと10年以上大丈夫なんじゃないかとも思えるが、80歳にもなれば本当にどうなってもおかしくはないのだから。今池から戻ったら各自部屋で就寝。だが、このホテルは最上階の温泉が売りらしい。行かない手はない。ちょっと細長いスペースではあったが、露天風呂もサウナもある。ビジネスホテルと考えると勿体ない風呂であったことよ。

3日目

このホテルでは朝食が付くセットを申し込んであった。ロビー隣のしゃぶしゃぶ屋(?)で朝食バイキング。7時に部屋を出ると父も同じタイミングで出てきたので一緒にそこまで。和食(ご飯、味噌汁、のり)・洋食(パン、パスタ、スクランブルエッグ)といった感じで一通り食べようとすると結構な量になる。食べ終わっても、父の体調の都合で出発は10:30。空いてる時間にもう一回温泉に入る。時間になったので、昨日のレンタカーに行くと、「次回1,000円割引券」ってのがあったらしく(一回レンタル使うともらえる。)、5,000円ちょっとと少しお安くなった。ホテルロビーまで父を迎えにいく。さて。どこに行くか。まず行くところは決めていた。少しづつ以前の記憶を思い出し父が、当時の仕事で時折行ってた場所、六番町へ。ここからは南西側の方角だ。六番町に行くにあたり、同じ方角にある金山のプールが気になった。子供の頃、いやがる自分を母が連れてきたスイミングクラブだ。(おかげでギリギリ25mなら泳げるようになった。)以前来たときはまだあったのだが…。ホテルで調べたら2003年あたりで廃業したようだった。残念。車で六番町へ。相当雰囲気が変わってしまったらしく、父は思い出せない。地下鉄の駅に行けば分るかも、と行っては見た。たたずまいは当時のようでもあったが、だめなようだった。本人もあきらめ気味で、「次に行こう。」六番町の近くに熱田神宮がある。自分はここに行った記憶はない…が。「いや、新年の詣で行ったよ。」妹を肩に担いで、家族5人で行ったらしい。人が多くてひどく疲れたらしいが、当たり前だな。せっかくだから、行こう。熱田神宮明治神宮ほどではないが、それなりに広い敷地で。(記憶としては)初めての光景を楽しみながらおまいり。お守りを買う。父はその辺は全く興味がないようで、自分がお守りを選んでいるのを少し遠くから眺めていた。自分も妻が選んでいる光景を見るまで興味なかったからな。信じる者だけが救われるんだろう。神社内のトイレに行ってから反対を見ると、茶屋があった。きしめんとか売っている。ここで食べても良かったのだが、少し時間が微妙で。みたらしだんごを一本買って食べた。うん。このみたらしは関東にはない。こんなにうまいのが、なぜ…。神社を出たあとは、富士見台に向かうことにした。本山の前は、富士見台の社宅に住んでいた。今回初めて父に聞いた話によると、もともと富士見台に住んでいたのだが、ひとが増え、手狭になったので、新たに新築した本山に引越した経緯があるそうだ。だが、自分はその頃はまだ3才ぐらいで富士見台については静止画のような断片な記憶があるだけだ。父も詳しくは覚えていないようで、まずは「自由が丘3丁目」のバス停があれば…。てなぐらい。道すがら父が話すに「名古屋にきたとき、古出来町(=古くに出来た町?)とか長塀(=塀が長く続いてるところ?)が安直な名前の町が多いって印象があってな。」そこそこ記憶が戻ってきているようだが…。東山公園を越えた先、坂道が続く土地に入る。丘が多いところらしい。そして。光が丘、星が丘、自由が丘に藤が丘。幼い頃の記憶にある地名。○が丘ばかりでいろいろ頭の中でごっちゃになっているのだと思っていたのだが、実際のところそれら地名は近い場所に密集していた。確かに安直な気はするな。「自由が丘三丁目」に着く前に、迷い込んだ道にふと見つけた病院に、父は興味を示した。「これは…見た事あるぞ。」僕や姉が肺炎にかかったときに連れていったところらしい。そして、ようやく「自由が丘三丁目」のあるコンビニに着くと、父は母に電話をかけて確認した。「確かにあの病院だよな」と。その後も車のナビ案内で狭い道をおっかなびっくり走って、今度は幼稚園を見つけた。自由が丘幼稚園。壁の鳥マークには見覚えがある。姉が行っていたところだ。早速姉に電話連絡。だがどうも肝心の富士見台が見えてこない。父があやふやな記憶から新たな手がかりをひねり出す。「光が丘のバス停を辿っていけば行けるかも。それと、そろそろ腹が減ったよ。」すでに14:30。熱田神宮の茶屋で食べなかったことを悔やみつつ光が丘に向かう。そこにはスーパーマーケットとスタバがあった。「あまり食べるには相応しくないけど、スタバで食事にしよう」と提案。父はコーヒーがあまり身体に良くないそうだが、了承。中でパンとラテを買う。思うに。2005年のこの頃、ちょうど姉を頼ってシアトルのスタバ1号店に行ってるんだよな。(日記は書いておくものだな)周りはハロウィンで仮装していて。あの頃はまだ日本では普及していなかったのだけど。奇妙なデジャブに似た感覚を覚えた。光が丘のバス停を調べる。まず、富士見台というバス停はもう存在しないようだ。で。父曰く光が丘から名古屋駅に向かうバスの道で、何か思い出せそうとのこと。そこでバスの後を辿ってみることに。…自由が丘三丁目あたりまで辿ってみたが、どうもうまくいかない。おそらく途中の小学校のあるバス停がその後かもしれないが。このあたりで断念。これ以上は古地図でも調べるしかなさそうだな、という結論をしてホテルに戻ることにした。ただ、光が丘からもう一度。名古屋駅行きのバスのすぐ後を追いかけてみる。バスは丘を下りていく。「ここで急な坂を下りていって左に曲がるんだ。そう、ここで。」父がしゃべりだす。記憶がちょうど蘇ってきたらしい。雪の日に車でここを上ってこようとしたが、雪で上れず大変なことがあったそうだ。聞く方としては、いたって普通のエピソードだが、思い出した本人は喜んでいた。バス道は続く。父の言っていた、出来町を通過。バスに付いていったら、バスレーンに入ってしまい恥ずかしい。いや、このままでいいと思っていたら後続のバスが来ていたたまれずバスレーンを抜ける。父曰く「そろそろ左に市役所が見えてくるよ。城の天守閣を模した面白い建物で、そして右には名古屋城が見えてくるはず。」市役所は見えてきた。隣に県庁も。どちらも城っぽい屋根でユニークだ。しかし名古屋城は…敷地の木々は見えるが、その上から顔を出すはずの城が見えない。道の角度がおかしいのか?地図を見て城が見えやすいルートで入り直してみると、なんとか見えたが「記憶より小さいんだ」とのこと。そして角度はやっぱりこうじゃない。「やっぱり角度は最初のでいいんだろう。きっとバスの高さで、立っていたから見えたんだ。記憶違いでもっと城は小さかったんだろう」と父はなんとか自分を納得させていた。で、次。父のオフィスがあったところを提案する。ホテルのすぐそば。丸の内駅の道沿いにあるらしく。昨日は車で通って分らなかったが、今日は付近を歩いてみればわかるかも。ということで父の記憶便りでバス停「桜通本町」へ。近くの有料駐車場をおりると、父の記憶が蘇ってきたらしい。「丹羽幸株式会社」はあった。「名古屋センタービルもあった。ここで飯を食べた。改築したようだが。」(改築したのは随分昔のようで、30年ぐらい前に建っていてもおかしくない感じ。)とすると角を曲がって…「このあたりに会社はあったんだろう。」あとひとつ。心残りの場所に行きたい。姉の自由が丘幼稚園を見たので、自分の行っていた城山幼稚園だ。10年以上前に来たときに一度行ってはいるのだが…。ナビを設定する。今池方面。そろそろ暗くなってきたので気持ち急ぐ。途中までは普通の道だったが、細かい道に入るといきなり急な坂道。左右が段々畑風墓場という、夕方にあまり出くわしたくない場所だがこんな場所だったっけ?(その時は記憶にないと思ったが、今思うと、あったかも。今度母に聞いてみよう)そしてこれ以上はヤバイ道幅になったところで車を止め。少し歩く。急な階段を下りて、見えてきたのは斜面に建てられた「城山幼稚園」。斜面の感じは記憶どおりだが、建物はずっと豪華に。移転したのかと思ったが、後から考えると建て替えかも。とすると斜面の上に寺があるはず。そこが正面なのだが行く道が分らず帰ることにした。父をホテルに降ろしてレンタカー屋で清算。ガソリン代は昨日は2*0円だったがこの日は1,000円以上。結構乗れたな。ホテルに戻って父と合流。近くの「世界の山ちゃん」で晩飯を取ることにした。入り口から入るとガラガラで、しめたと思ったが、通された2Fにいくと、左右どちらもサラリーマンのプチ飲み会状態でうるさい。特に壁側の若手たちが。だがこれも40年以上前の父親たちの姿と考えれば少し微笑ましくも。

4日目

休みはもう一日予備でとってあるが、この日に帰ることに決める。いくところは、昨日=月曜定休でいけなかったところ。午前中に科学館。夜はロボットと決めていた。ともかくホテルでの朝飯。さすがに2日連続同じ飯だとちょっと飽きるな。父親はもう一泊予定なので、明日もこれを食べるのだ。体力を少し温存して。10:30にチェックアウト。(荷物はいったん父親の部屋に置かしてもらう。)科学館へ。外観はこの数日で何度も観ているが、なんとも目立つ建物であることよ。入り口ではさかんに「プラネタリウム予約はお早目に」とかアナウンスされている。プラネタリウムマニアとしては非常に気になる。が、本日は趣旨が違う。新築されてしまったプラネタリウムはお預け。改築された科学館で、昔の展示物はどれだけ残っているのか見よう、というわけだ。…しかし。やはり随分変わってしまっていた。「消える胴体」なる鏡を使ったトリック展示だけは、内装のレトロさも相まって記憶のとおりだった。が、それぐらい。あとは一部の鉄道模型ぐらい。かなあ。コンピュータの展示なんぞは当時無かったはずだが、その後自分が理解したのとほぼ同じ流れで説明してあって感銘をうけた。予想以上の変化に戸惑いなから、心は別に悲しくはなかった。上の階。宇宙展示コーナーにはかつて使われていたプラネタリウム映写機の姿があった。懐かしいなあ。そして、展示を見ていると「デジタルタイムカプセル」なるものが。改築前の科学館の姿をVRで納めたものだ。ああ。スタッフは分っているんだな。近くのベンチで休んでいる父親に小学生ぐらいの子供が話しかけていた。科学は日進月歩。だから科学を紹介する展示は常に新しくあるべきだ。科学館が博物館ではないのだから。懐かしみたいひとのニーズは分っていて残す。この配慮で十分だ。平日にも関わらず、この建物には子供たちが一杯いて。彼らのなかから明日の科学が生まれてくれることを祈った。では次に。というところでちょっとしたアクシデント発生。カメラの電気が切れかかっている!充電する機会は結構あったというのに!俺のバカ。ということで作戦をたてる。まず、父と一緒にホテルのある丸の内駅へ。父にはホームのベンチで待っていてもらい、ホテルのカードを借りる。急ぎ足で父の部屋へ。コンセントにバッテリーをセットすると足早に引き返す。ホームの父の姿は…。休んでいるのだろうが、ベンチに腰を降ろしてうなだれている姿はかなり危険な状態に見える。まあ特に問題はないのだけど。父を連れて向かうは栄の地下。本当はこの付近もじっくりまわりたいところだが、父の体力も気になるので早々と店を決める。名古屋名物といえば、きしめん味噌カツに、…ひつまぶし!うなぎだ!父の財布をアテに、年一度と決めたうなぎをいただくことに。ガッツリ食いたかったので、あえてひつまぶしではなく通常のうな重に。ボリュームがかなりあって最後の方は少し飽きたが満足の一食であった。食べ終わったら父とホテルに戻る。充電したデジカメを回収。かなり疲れきっている風の父を残し、最後の旅に向かう。幼い頃、記憶の片隅に残っていた「懐かしい」ロボットたちの記憶。すでに調べておいた。かつて大阪万博にあったフジパンロボット館なるパビリオン。ロボット館はその後、名古屋の愛知青少年公園に移設され、それを自分は目にしたことがあったのだ。己れがコンピューターや機械に憧れる気持ちは多分これがルーツ。ロボット館自体は2000年あたりまで存続していたようだが、ちょうど愛知青少年公園が愛・地球博の会場となったため終了。愛・地球博ではそのロボット館跡がロボットステーションとして改築、その頃の最新ロボットたちの展示の片隅で、フジパンロボット館のロボたち何体かも展示されていたという。実は自分、愛・地球博観に行ってるし、ロボットステーションも訪れた。そこで彼らを見たようにも思うが、そういった事情を把握していなかったため記憶があいまいになっていた。調べたところ、愛・地球博の跡地は愛知県児童総合センターとして存続。フジパン・ロボット館の生き残りはそこにまだいるという。ここを訪れるがこの旅行の大きな目的になっていた。地下鉄東山線。の終点からさらに(愛・地球博で作られた)リニモで「愛・地球博記念公園」駅。今行けば15:00頃だろうから閉館の17:00までには十分間に合う。間に合うというよりも。東山線はまもなく通過駅の東山公園に着くところだった。その後東山動物園にも寄れるんじゃないか?こちらは16:30までなら入館可能。児童総合センターの目的はロボットたちだけなので、すぐに引き返せば戻ってこれるのでは。と計算しながらリニモへ。リニモはなにやら萌えキャラでデコレート。運転席、車掌席ないおかげで一番後ろの席は見晴らしがいい。デジカメで撮影しながら「愛・地球博記念公園」駅へ。駅に入る前に「コメダ珈琲」の店が景色の中に見えた。多分以前車で来たときに珈琲飲んだ店だ。あの名古屋名物の喫茶が今や実家から徒歩2分のところにあるのだと不思議な感慨を持つ。そして、写真で建物の外観は把握していた。あれが児童総合センター。駅を降りると、愛・地球博の跡地はだだっ広い土地になっていた。そこから線路に沿って戻っていく。ただ真っ直ぐ。なにもない道を15分ほど歩き、目的の建物についた。入り口に入るとチケット売り場。チケットを買おうとしていると、受付のお姉さんが「ここは子供用ですよ」と。いや、わかってますよ。児童センターですもんね。とは口にせず。ニコリと笑ってロボットたちを目指す。構造は立体的だが、シンプルで分りやすい建物。1F?地下?に降りてちょっとした個室っぽいコーナー。そこで45年を生き抜いたロボットたちが待っていた。写真で観たとおりだったが、ああ。この4体しか残っていないんだな。ボーカルに、ハープに、ドラム、ピアノ。手塚治虫がデザインしたとは最近知った。たしかにそれらしいデザイン。氏の漫画でもこんなシチュエーションがあった。古い博物館に、人々から忘れられた、ロボット達が展示されている。漫画ではそのなかにアトムの姿もあったような。「アトムの最後」だったかな。館内はひっそりと、だが、何組かの家族が居てそこの子供たちの声が響く。問題は、だ。彼らは単に展示されているだけでなく、定期的にデモンストレーションするようなのだ。前の回は終わったばかりで次は15:30から。東山動物園が気にはなるが、これは観なくてはいけない。カメラで動画を撮影して、スマホで録音しよう。そう準備していると、何人かが興味深くその場を見に来る。そしてはじまる瞬間には館内の家族たちがその場に集まってきていた。そして死んでいたようになっていたロボットたちが動き出し、ちょっとした芝居を始める。昔は活躍したロボット達も今や満身創痍。それぞれが足りないものがあって演奏もできない。そこに背景にいた別のロボットが助言。それぞれが足りないものを補いあって、演奏が可能に!みんなで1曲やっておしまい。まさに彼らの生き様そのままだな、と思ったが、余韻はそこまで、急ぎ引き返す。リニモはそれほど繁盛している路線じゃないようで、数十分に1本。次に来る便を逃すと、厳しいんだろなと思いつつ線路(高架)を辿る。幸いまだこない。おっかなびっくり駅に入り、ホームへと駆け上ると、ちょうど電車が入ってきたところ。げ。音が静かなので分らんかった。あぶない。一番前に乗る。電車が発進すると、ちょうど向かいの反対側の電車とすれ違い。デコレートしている萌えキャラたちが気になりスマホで調べる。「ぽぷかる」という地方振興ネタらしい。この手のやり口は「妙なおたくマニアックカラーが付く」「意外とおたくは意のままに動いてくれない」など、必ずしもうまくいくとはいえないんだが…。予算が少ないところからの拡散を考えればありなのかな。担当者には頑張ってほしいと無責任なエールを念じつつ。リニモは藤が丘に着く。いそいそとエスカレーターを上り、東山線に乗り換え。無事、時間内に東山公園に着く。東山動物園に向かうと、少し空が暗くなりはじめていた。若者たちが門を出てくる。窓口でチケット購入。「16:50までですが、いいですか?」納得のうえだ。入ると左側に売店が。そして記念メダル販売機。幼い頃から気になっているが、まだあった。(だが買わぬ。)近くの看板には「コアラ来園30周年」とある。はい。自分らが引っ越してからやってきたんだよな。そして別の看板には「東山動植物園再生プラン進行中」ともある。たしかに割りと昔の面影はある。…といっても全貌を覚えてないけどね。どこになにがあるかわからずともかくまっすぐ進む。父親によると、自分が「こども動物園的なところでヤギと戯れていた」のいは記憶していたらしいが、そういうのは意外と本人は覚えていないようで。ただ、恐竜の三体の石像「ティラノ系、トリケラ系、ブロンド系」には見覚えが。石の風化具合、いい感じに景色に馴染んでる。あたりにひとはまばら。平日の、閉園直前だから当たり前。むしろこれだけひとがいる、というのは地域に愛されているからだろう。だが、改めて歩いてみると、上野動物園の半分ぐらいなのかな。大人サイズで見るとやはり少し狭い。キリン、白くま、ペンギンらを横目で見ながら直進、少し上がったところで池と白鳥ボートが見えた。子供のころ、これに乗りたかったんだよな。恥ずかしいうえに時間もなく、それらネガティブ要素を越えたところまでの気持ちはなく、左に向かう。道路を越えて坂を上っていくのだが、どこに向かっているのか。ひとつは東山スカイタワーとかいう、存在感のあるタワー。(あとで調べたら25周年だそうで。)長いエスカレーターを上ってふもとまで。「新しいものを探しに」だったらぜひ入ってみるべきだが、そういう趣旨でも時間も金もなし。(入場別料金)そしてもう少し上がった山(?)のうえに遊園地らしき姿が。そうだ。今回行っておきたかった施設がここにあったじゃないか。放送が流れる。「遊園地はまもなく閉園に…」ええい、間に合え!坂を駆け上る。遊園地は、それこそ昔のままといった佇まい。もちろんこんな時間だ。古さに加え寂しさだって感じたさ。しかし、振り向いたそこにある…ビックリハウス。外装はピエロのような見た目に変わっていたが、中がそのままとは聞いてたさ。これは体験しないと。しかし入口にはのりもの券2枚。のりもの券!?どこで売っている?手前のメリーゴラウンドが終了して若い係員が出てきたところでとっさに。「ビックリハウス、入りたいのですが、のりもの券は?」係員は現金でいいですよと言ってくれたので、そこで払うと、その係員は近くで老人係員を呼んできた。彼がビックリハウスの係員らしい。まさか彼は40年前からずっとこの施設を見守ってくれていたのかも…。勝手な妄想にふけりながら老係員が開けてくれた扉をくぐる。中は…。これだ。この内装!わざとらしい部屋のような体裁だが。カメラを動画モードにしてオンすると、早速動き出した。壁が360度ぐるぐる回るなか、床も動くのでかなり気持ち悪い。分ってても結構怖いアトラクション。少し足を震わせながら部屋を出ると老人はにこやかに迎えてくれた。外にはなんと、ミラーハウスもあったが、こちらはもう終了していた。残念。周りをみると、すっかり閉園モードになっており、係員たちもそろそろと建物から撤収していく。園内放送も遠慮なく「もう終わりです」とアナウンス。自分も帰らねば。植物園にたどり着けなかったのは少し心残りだったが遊園地を撤退。坂をおりる。道中「ふしぎたんけんの館」なる建物を見る。これは最近できたものかな。どういうものか知りたかったが、そこまでの興味。回る出口は使わず、正門から退園した。東山公園駅の変な動物の絵の待ち合いコーナー的なのを写真にとり、父に電話。ホテルへ向かう。合流後は。帰宅に向けて名古屋駅へ。帰りは手間をかけずに帰ろうと思っていた。だから新幹線。2時間後の20:00あたりののぞみを購入。もちろん窓側。そして新幹線に乗るまでにしておくこと。その1。お土産購入。手近で大きめの店に入って探す。コンセプトは明快。身内には名古屋名物の鉄板:ういろうを買う。会社・職場向けには名古屋名物をあしらったお菓子。小倉トースト手羽先とか。結構な量なので、宅配便で送ってもらうが、手続きに長引いている間に後ろの列が長くなっていく。申し訳ない。かばんも全部持っていってもらおうと思っていたが、値段が変わりそうだったのでやめとく。その2。父と最後の飯。父と最初におちあった駅地下(エスカ)へ。名古屋で食べたいものはあらかた食べたのだが…父に矢場とんを食べさせたくなり、地下街のちょうど向こう側まで歩く。が、さすがの行列。これ以上歩かせるわけにはいかないなと手近なところを探してきしめん亭なる店に入る。店の名前はともかくあんまりきしめんがフューチャーされていなかったのかな。きしめんに拘らない飲み屋的メニューを食べて済ます。ここで聞いたのか、記憶あやふやだが、自分が児童センター&東山動物園めぐりをしている間、疲れてホテルで寝てたと思いきや、途中で目が覚めあちこち回っていたのだという。特に栄の地下で中日ビルやらに着いた話など…。その場にいられればよかったのだが。食事も済んで、良い時間になったので、駅に戻る。改札で父と別れる。父は疲労を理由にもう一日ホテルに滞在することにしており、翌日帰宅予定。数日後には実家でおちあうのだが、なんだが感慨のある別れになった。ホーム。あと20分もすれば乗車する便がくるのだが。いいところに立ち食い蕎麦、いやきしめん屋がある。さっき食べてきたばかりなのだが、これも思い出作りか。無理やりもう一杯分腹に入れる。新幹線の中では。今度はスマホの電気が切れてコンセントを探したりもしたが、途中であきらめ席に戻り。ゲームとかしていたらあっさり東京に着いた。あっさりと。